ネパール紀行'99

菊地英昭

ACAネパール・スタディーツアー

1.行き先
ネパール王国・カトマンズおよびポカラ市、キルティプル市
2.目的 
(1)ACAのNGO活動の現地視察/ACAが建設支援した学校訪問とそこでの"紙芝居"上演
(2)ホームステイを通して、現地住民の生活文化を知る
(3)昨年夏、寒川に滞在した民族舞踊団25名と再会し、交流する
(4)私(菊地)の奨学生(高校生)家族と面接する
(5)ポカラ森林大学訪問/教育大臣と懇談/キルティプル市長と懇談
3.主な日程
第1日)1999年12月19日    成田→バンコック(一泊)
第2日)12/20(月) 12:45 カトマンズ到着/スタッフの出迎え
             /一緒に市内観光(寺院,王宮、ダウンタウン)
  • 世界一飛行機での着陸が難しいとされるカトマンズ国際空港に無事着陸したときは、一斉に機内から拍手。いよいよネパール王国の地を踏んだ。からっとした空気で、日本の9月頃の天気で、半袖の旅行者もいる。搭乗者の入国検査があまりにものんびりで、偉く時間がかかった。
  • ACAカトマンズ事務局のスタッフが7人全員に黄色い花のレイを掛けて歓迎してくれた。
  • 今晩宿泊するレストハウスまで約30分、だいぶ疲れ切ったバスの車窓からカトマンズ市街を観察。建物が独特で、茶褐色の煉瓦造りの古い家並みが続く。
第3日)12/21(火) 夜昼、二回にわたって「ネパール語教室」
                 ☆ 講師はACAカトマンズ事務局の現地スタッフ   
  • 国内線空路で一路ポカラへ。ポカラ空港で昨年夏、秦野市、寒川町を訪れた25人の子どもたちの出迎え。再会を喜ぶ。
  • 「ポカラ森林専門大学」(Institute of Forestry)訪問、既に、学部長以下教員約10名、学生約30人の歓迎を受ける。ACAではこの3月に森林の植林ツアーを実施し、この大学の学生たちの協力で苗木を植えてきた。杉本さんや何人かのメンバーは彼らとなじみになっている。
  • 大学会議室にて、約一時間に渡り、意見交換。環境保護の問題に関心のある学生たちの自主的なボランティアグループ、「シェアック」(SHEAC-Self-Help Environment Awareness Camp)非常に興味深い紹介がなされた(シェアックが編集、刊行した「The Greenery」(Volume2)をいただいたので、後日内容を紹介したい)。杉本氏の提案で、われわれの紙芝居を上演。その後、広いキャンパス内の一角に、彼らが自力で開発している樹木の苗床を視察。
  • 大学を後にして、次に、例のムナル・カルチャー・グループと合流。寒川を来訪した子どもたち全員と握手。覚えたばかりのネパール語をつかって楽しいひととき。子どもたちの笑顔と素晴らしい民族舞踊が上演され、旅の疲れがいっぺんに吹っ飛ぶ。
  • われわれの出し物は日本古来の「紙芝居」。昨晩、宿で一生懸命練習した成果を発表する第二回目の機会。現地のスタッフがネパール語で見事に通訳してくれたおかげか、子どもたちは熱心にわれわれメンバーの熱演に聞き入る。ネパールに日本の紙芝居(昔話)が持ち込まれたのは初めてだという。
第4日)12/22(水) 朝五時暗い内に起きて、懐中電灯で明かりを採りながら、
                  チャンドラコットのヒマラヤ展望台まで、トレッキング。

  • 残念ながらあいにくの曇天で霊峰ヒマラヤのマチャプチャレや南アンナプルナは雲に隠れていた。しかし、険しい山道を歩く途中見聞した風物には十分満足。
    眼下に広がる段々畑/そこに立つ粗末な民家群/土着の、人のいいネパール人/裸足で山を駆け回る地元の子どもたち/通路に並ぶ観光客目当ての露店、物乞い(子ども)/機織り
    「これが学校か」と思える粗末な土間の、地元の小学校、中等学校・先生との懇談/・・etc
    すべて絵になる程印象深い。この国は世界一の自然資源があるのだからもっと観光立国としての努力をすべきだと痛切に感じる。
第5日)12/23(木)空路(ポカラ→カトマンズ)、空港からバスでキルティプル市へ。
  • 市庁舎に市長を訪ねる。公務多忙中で、会議の間を縫って約一時間懇談。かれは、さむかわ国際交流協会五周年式典に出席し、寒川町長におみやげを渡した。半年ぶりの再会で、寒川の思い出を語ってくれた。当市では、農業改良に力を入れ、寒川で視察したいちご栽培を奨励しているという話が興味深かった。市長の家でネパール料理をごちそうされた。
  • 午後、ACAが支援する初等学校(小・中学校)訪問。全校生徒600人の熱烈な歓迎に、われわれ7名大いにとまどう。「ナマステ」(こんにちは)「ナマステ」の合唱となる。青の制服が映え、一人一人とてもいい顔をしている。心からの歓迎の気持ちが自ずと伝わってくる。
    ネパール語の歓迎の歌に答えて、われわれは「紙芝居」を上演した。スタッフのカマラさんの名通訳で、600人がスピーカーなしで(地声で)語られることばを食い入るように見つめ、聞き入っている姿に感動した。4つの日本の昔話であったが、一時間近く、後ろまで聞こえるはずがないのに一切私語もなく楽しんでくれたことに驚きを禁じ得ない。一人一人に鉛筆とノートを配ったら、素直に喜んでくれたことがとてもうれしかった。
  • 奨学金を受けている子どもの父母たち、ホストファミリー、校長、教職員が一堂に集まって懇談会。「お互いに自己称介しながら紙芝居は初めてだ。授業に生かしたいがどうすればよいか?」など、先生方からいろいろ質問が出された。校長は女性で、とても気さくなおばさんであった。そして、今夜から泊めてもらうホストファミリーとの対面で、私はリタちゃんという15歳の女子中学生の家にホームステイすることとなった。両親と5人の子ども(リタが最年長)、それに82歳のおじいさん(父親の親)の8人家族であった。学校から歩いて20分。着いたところは、ネパールの村の典型的な貧民街(今なお古いカースト制が残るネパールではどの階層に属するかわからないが比較的下層階級であることは間違いない。なぜなら、ACAスタッフが調べて、就学困難と認めた家庭で、リタ自身日本からの奨学金を受けている。ここでの二日間の生活はこの旅行中の最も思い出深い体験であった(詳細は後述)。
第6日)12/24(金)リタの家族と市内散策
  • リタの家は日干しの煉瓦造り。8畳ほどの土間で、テレビもラジオもない、大きな家財道具もない伽藍とした2部屋に、8人が寄り添って住んでいる。トイレ、洗面所、洗濯の場所は10世帯ほどの共同で、家の外にある。それでもお客は最高の待遇を受ける。リタはまだ薄暗い朝5時頃起きて、一家の生活用水を汲みに共同井戸端まで、大きな壺を持って出かけていく。それが終わると、ヒンズー教特有の朝のお祈り。四方八方に神々がまつられ、順々にお供えをあげてお参りするのである。仏教の開祖仏陀も神様の一人で、特にこの地では深い信仰の対象となっているようだ。日本の七福神のルーツがここにあるということも初めて実感した。
  • 10時に学校に集まって、キルティプル市内のいくつかの名所旧跡を見学。300年前のネワール仏教文化を今日まで護持してきた当市はさしずめネパールの奈良、鎌倉というところ。あちこちに古い寺院が並び、この町が寺院を中核とした都市であることがわかる。チベット仏教の影響が色濃く認められる。
  • 夕方、子どもたちが学校から帰っている。母親が機織りのアルバイトの仕事を終わって帰ってきた。リンゴとトマトをたくさん買って帰ったら、同じ屋根の下に住む親戚の子どもたち(甥や姪)が4人、5人と集まってきた。まっ白い、美しい歯で皮ごとかぶりつく。「お礼に」といって、13歳のリタの妹が、毎週放課後習っているネパールの歌と踊りを披露してくれた。続いて、次々と他の子どもたちが歌や民族舞踊を演じはじめ、座はいよいよ盛り上がった。物質的な貧しさに負けない、心の豊かさを、彼らの表情と動きに見たような気がする。
第7日)12/25(土) ネパール政府・教育大臣と会見・懇談/奨学生家庭訪問
  • ホスト・ファミリー宅→市役所集合→(バスで)教育大臣ヨグ・プラサード氏の私邸訪問。上流階層の住む地域は、大通りから少しはずれた閑静な住宅街で、今まで見てきた「庶民」の集合住宅とはかなり違う。とはいえ、古風で質素な作りで決して豪華とはいえない。
  • 秘書をしている大臣のお嬢さんが応対にでられ、そこで初めて例の「カトマンズ空港ハイジャック事件」を知る。閣僚に連絡が入り、その打ち合わせで2,30分遅れるという。国家一大事というのに、貴重な時間を割いてくださった事に感謝。ACAがNGOとして立派に活動していることを当局は高く評価されていることを思った。
  • 「我が国の教育課題は」と、大臣は開口一番、農業振興の必要性を挙げ、「近年、教育を受けた者が農業に背を向ける傾向がある。初等、中等学校でいかに農業に関心を持たせるか、そのために農業指導者をいかに養成するかが課題である」と切り出されたのが特に印象深い。
  • 高校生が1年間に学校に払う学費、教科書代は約3万円。労働者の月給が2000〜3000ルピー(4000〜6000円)。それだけあれば一人の青年の夢を叶えることができる。ACAのスカラシップ事業を知って私は早速応募し「里子」を得た。今回私の里子(奨学生)マハルジャン君をたずねて、現地スタッフと二人でなんとか彼の家を探し出し、家族と会うことができた。彼は両親と2人の弟と妹一人の6人家族で、父親はカトマンズ市内の3輪のタクシー・ドライバー。母親は病弱で、子どもの学費まで余裕が無く、彼ががんばって卒業して就職するのが頼みの綱と母親はいう。彼の部屋を見せてもらい、本らしいものは科学や数学の教科書以外何もなく、古ぼけた鉄のベッドがあるだけだった。「将来どんな職業につきたい?」と聞いてみた。「父親が車だから、僕は飛行機のパイロットになりたい」という返事が帰ってきた。
    来年も学校に行ってもらい、無事進級してもらいたいと祈りつつ帰路についた。
第8日)12/26(日)カトマンズ市内最後の散歩→バンコックへ

第9日)12/27(月)朝7:30  成田着

ネ パ ー ル 旅 行 雑 感

 1900年代最後のカウントダウンと、いわゆるY2K問題に揺れる1999年歳末の27日、一行4名で成田に帰ってきた。団長の杉本氏と青山さん、竹山氏はまだ仕事があるというので現地に残ったのである。竹山氏は3月までカトマンズに単身滞在し、ACAのNGO活動の実態調査を続けるという。
 とにもかくにも、初めてのネパール旅行は無事終了した。今振り返って、約一週間のネパール滞在で、実に様々な人たちにお会いできたこと、そしてお互いに、充実した交流ができたことに満足している。それは第一にACAのカトマンズ事務局の優秀な3人の現地スタッフの流ちょうな語学力によって、ことばの壁を越えられたことに負っていると思う。もう一つは、7人という少人数グループで、ネパールは35回以上訪問というACA代表の杉本氏の、まさに微にいり細にいる解説を聞きながらの旅行で、充実したまさに理想的な国際交流が実現したというのが実感である。
以下に、私の個人的な感想をまとめてみる。

全 体 的 に
  • その國を知るのに最も強烈なインパクトを受けるのは一般家庭へのホームステイである。住環境、食文化、国民性、庶民の一日の生活がよくわかり、いわゆるカルチャーショックを受ける。私のホストファミリー(リタの家族)は理想的であった。リタの通訳のおかげで大いに助かった。
  • カトマンズ、ポカラの各都市を歩いて、一番感じたのは、仏陀やヒンズーの神々への崇敬心の強さ、根強さである。ヒンズー教が深く民衆の中に定着し、人々の宗教心が生活の基盤を為しているのである。それを見聞し、実感した。
  • もう一つは、環境衛生上の政策課題である。
☆ネパールの子どもたちの印象☆
  • 日が沈み暗くなっても、外で遊ぶ子どもの声が絶えない。普通の家には、テレビも新聞も、ファミ★ンなんていうおもちゃもない。
  • 歌や踊りは遊びの中で覚え、どろんこ遊びや犬とかけっこ?
  • よく手伝いをする。井戸から水をくんで家に運ぶ。妹や弟の面倒を見る。
  • 学校に行きたくてもいけない子どもがまだ全体の半分近くいる。観光地では旅行者にお金をねだる子が多い。後ろで親が指示している。子どもが犠牲になっている。
  • 学校に通ってる子どもは英語で会話できる(ホームステイで15歳のリタが英語を勉強していて何とかわかるので大いに助かった)。一般にネパールの子どもは自己表現能力が優れている?
☆ACAのNGO活動について☆
  • 予想以上に現地のニーズに応えていると思う。またネパール側の期待も高まっていることがわかった。
  • "支援してやっている"という意識はおかしい。われわれの知恵や技術を提供し、役立ててもらうことがNGOの目的であろうと思う。われわれの価値観や考え方を押しつけるやり方は良くない。ACAは、その点で、現地の人々の主体性を尊重して、慎重にサポート活動をしていることがわかった。
  • 現地人の優秀なスタッフを抱えていることは、ACA発展の基盤だと思う。
  • 植林活動でエベレスト山麓の豊かな緑を守ろうという運動は全世界の共感を得るだろう。